MPDBという衝突試験をご存知でしょうか?MPDBはMobile Progressive Deformable Barrierの頭文字を取った略語です。日本語に直訳すると『前方移動型の変形バリア』でしょうか。一方オフセット前面衝突試験はODB(Offset Deformable Barrier)と略されることが多く、この場合は『固定式の変形バリア』を意味します。このDeformable Barrier(変形バリア)とは、衝突の相手車両を再現するためにアルミで作られたハニカム状の構造体です。
自動車事故で死亡率や重症率が高いのは対向車との正面衝突の場合です。そしてこれらの衝突に対する安全性能評価として長く使われてきたのがフルラップ前面衝突試験とオフセット前面衝突試験ですが、そのうちオフセット前面衝突試験がMPDB衝突試験に変わろうとしています。
※オフセット前面衝突:正面衝突の事故で対向するクルマ同士が横にずれた位置で衝突する事故を模擬した試験で、衝突の衝撃による乗員の傷害だけでなく車両の変形による傷害も評価する
オフセット前面衝突評価がMPDB衝突評価に置き換わる?
国内外において、衝突安全に関する法規や自動車アセスメント(法規制ではないが、行政や民間主体で衝突安全性能を評価・公表しているもの)はフルラップ前面衝突とオフセット前面衝突を軸に、側面衝突や後部衝突、予防安全性能などの評価を実施しています。そして今、前面衝突の2つの柱のうちの片方、オフセット前面衝突試験がMPDB衝突試験に置き換えられつつあります。
すでに欧州のEuroNCAP(ユーロエヌキャップ)という自動車アセスメント評価では、オフセット前面衝突試験に代わりMPDB衝突試験が導入されています。また、日本のJNCAPでも2023年以降にMPDBを導入する計画があります。試験条件がEuroNCAPと同じになるかどうかはまだ発表されていませんが、いずれにせよオフセット前面衝突の代わりに実施されることになります。
試験条件はどう違う?
従来の自動車アセスメント試験におけるオフセット前面衝突は、評価車両を64km/hまで加速させ、バリアに対して車幅の40%分ラップした状態で衝突させます。これに対してMPDB衝突の場合、評価車両を50km/h、バリアがついた1400kgの台車を50km/hまで加速させ、車幅の50%をラップさせて衝突させます。
衝突のエネルギーは試験車及び台車の運動エネルギーです。運動エネルギーは1/2*m*v^2で表されます。評価車両の速度が64km/hから50km/hになることで運動エネルギーは61%に減少しますが、ここに台車側の運動エネルギーも加わります。仮に評価車両の重量が台車重量と同じ1400kgの場合、トータルの運動エネルギーはオフセット前面衝突の122%になり、厳しい評価であることがわかります。
なぜMPDBを導入するのか?
ではなぜ従来のオフセット前面衝突試験からMPDB衝突試験に置き換わりつつあるのでしょうか?一言で言うと、実際の事故による死傷者を減らす為、と言えます。これはMPDB衝突に限らずそうですが、衝突関連の法規や自動車アセスメントの存在意義は交通事故による死傷者を減らし、社会的な(経済)損失を抑えることにあります。
MPDBを導入する理由について、ここから少し専門的な内容に入ります。
従来のオフセット前面衝突は、評価する車両単体の運動エネルギーをボディ変形で吸収しています。つまり、軽いクルマは小さい運動エネルギーを軽い車体の変形で吸収し、重いクルマは大きい運動エネルギーを重い車体の変形で吸収します。
しかし、実際の交通事故では小さいクルマ同士、大きいクルマ同士の事故になるわけではありません。大きい運動エネルギーを吸収するための強くて重いボディと小さい運動エネルギーを吸収するための弱くて軽いボディが衝突したらどうなるでしょう?理論上はオフセット前面衝突試験の評価に比べ、大きいクルマの乗員は軽症になり小さいクルマの乗員は重症化しやすい傾向になります。
このような矛盾を一部解消するために考えられたのがMPDB衝突試験です。相手車両の重量を固定化(EuroNCAPの場合は1400kg)し運動エネルギーを持たせることで、小さいクルマの場合は大きいクルマとの衝突を模擬し、大きいクルマの場合は小さいクルマとの衝突を模擬することになります。これにより実際の交通環境での事故に近い評価が可能になります。
小型車(軽いクルマ)が不利になる?
前述の内容を理解していただけた方は、小さいクルマが不利になる評価だと気付くはずです。相対的に小さい(軽い)クルマの場合、相手車両(バリア付き台車)の運動エネルギーや運動量の影響が大きく、ボディの変形量も衝突時の衝撃も大きくなってしまいます。
大型車が有利になる評価ですが、実際の交通環境でも同じことが起こるため、小型車メーカーも受け入れるしか無いのが実情のようです。
一応、小型車への救済措置も取られています。それは相手車両への加害性も考慮されるという点です。具体的には相手車両を模したバリアの局所的な変形を大きくすると減点されるというもので、重いクルマほど不利にはなりますが、減点項目としては大きくはありません。
まとめ
・EuroNCAPではすでにオフセット前面衝突に代わり、MPDB衝突が実施されている
・MPDBは実際の交通環境の事故により近づけた評価内容になっている
・オフセット前面衝突に比べ、重いクルマが有利に、軽いクルマが不利になる
現状の交通環境にあっているとはいえ、重いクルマ=安全なクルマとされる評価が良いとは思えません。安全なクルマを作ろうと思ったらさらにクルマは重くなり、クルマが重くなったらそれにあわせて評価条件が厳しくなり、さらに重くなるという悪循環になります。
個人的には車両重量そのものにペナルティ(減点)を課し、軽いクルマのために重いクルマを減らす方が環境負荷も少なくなり、サスティナブルな車社会に近づくのではないかと思っています。
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