クルマのタイヤ 凝着摩擦のメカニズム

クルマのタイヤはなぜゴムなのか?

 タイヤに使われるゴムの摩擦力には、高校物理で学ぶ古典摩擦力学では説明できない特性があります。実はタイヤの摩擦力の発生メカニズムは、大きく分けて3つあります。それは、凝着摩擦、ヒステリシス摩擦、凝集摩擦です。その中でも今回は、最も主要な摩擦力である凝着摩擦を解説します。この凝着摩擦のメカニズムによってゴムは高い摩擦力を発揮しつつ、クルマに高い操縦安定性を持たせているともいえます。クルマ関係の仕事に就いている人やクルマの運転が好きな人が知っておいて損のない内容かと思います。

高校物理の摩擦力とタイヤの矛盾

 高校物理で学んだ摩擦とは以下のようなものでした。

  • 垂直抗力と摩擦係数

 摩擦力の基本は高校物理で習った垂直抗力と摩擦係数の式で表されます。高校物理では摩擦係数は物質の組み合わせで決まっていて、垂直抗力や表面積が変わっても摩擦係数は変わらないものとして習いました。

 もしそうだとするとクルマのタイヤは幅が太くなっても摩擦係数は変わらず、グリップ力(摩擦力)は変わらないはずです。しかし、ある程度クルマのことを知っている人なら、タイヤを太くするとグリップ力が上がることを経験的に知っています。ただし、それがなぜか説明できる人はわずかです。

  • 静摩擦係数と動摩擦係数

 また、高校物理での知識では静摩擦係数>動摩擦係数であり、物体を引っ張って滑り始めると、引っ張るのに必要な力は小さくなります。

 一方クルマのタイヤの場合、タイヤは少し滑っているときの方が摩擦力が大きくなります。例えばゼロ発進加速で急加速する場合、タイヤが滑らないように静摩擦係数の限界の摩擦力で加速するよりも、多少タイヤを空転(ホイールスピン)させながら加速したほうが速くなります。

 この特性もまた、高校物理の摩擦では説明できません。次項で摩擦のメカニズムを解説していきます。

凝着摩擦のメカニズム

 ゴムの摩擦特性も説明できる現代の摩擦理論は、『修正凝着理論』というものです。凝着とは物質同士がくっつくことです。凝着摩擦とは、摩擦現象を物質同士の結合とそれを引きちぎる力のメカニズムで説明したものです。凝着理論によると、摩擦力は以下の式で表されます。

F(摩擦力)= A(真実接触面積)× s(単位面積当たりの接触部のせん断力)

 真実接触面積とは、実際に物質同士が触れ合っている面積です。見かけ上の面積よりも遥かに小さく、見かけの面積の1%〜0.001%ともいわれています。この真実接触界面では、少なくとも一方の物質は塑性変形し、物質同士は分子レベルで結合(凝着)していると考えます。結合しているということは、物質同士を滑らせるにはせん断方向に結合部を断ち切る力が必要です。このときのせん断力は柔らかい方の材料のせん断力か、接触表面の酸化膜など表面物質の材料のせん断力に相当します。そしてこのせん断力の合計が凝着による摩擦力に相当します。

凝着摩擦の摩擦係数

 また、凝着理論における摩擦係数は下記の式で表すことができます。

µ(摩擦係数)=s(接触部のせん断強さ)/p(柔らかい物体の塑性流動圧力)

 古典摩擦力学では接触する物質の組み合わせから決めるしかなかった摩擦係数ですが、凝着理論では材料特性を使って定式化することもできます。

 分子を見ると、接触部のせん断強さが大きいと摩擦係数が大きくなることがわかります。これは凝着理論の摩擦力の式と同じです。分母を見ると『柔らかい方の物質の塑性流動圧力』となっており、これが小さいと摩擦係数は大きくなります。

 塑性流動圧力とは、ビッカース硬さ(材料にダイヤモンドを押し込んだときの硬さ)に近い物性と言われています。言い換えると、垂直抗力に対してどれだけの真実接触面積で釣り合っているかという硬さを表しています。塑性流動圧力が高ければ真実接触面積は小さくなります。そうすると摩擦係数の式からも摩擦力が小さくなることがわかります。

凝着理論とゴムの摩擦

 真実接触面積が小さい物質の場合、垂直抗力と真実接触面積はほぼ比例関係にあるため、高校物理で学ぶ古典摩擦力学は良い近似になります。一方、ゴムなど真実接触面積が比較的大きい物質では垂直抗力と真実接触面積が比例関係にありません。もう一度式を見てみます。

F(摩擦力)= A(真実接触面積)× s(単位面積当たりの接触部のせん断力)

µ(摩擦係数)=s(接触部のせん断強さ)/p(柔らかい物体の塑性流動圧力)

 ゴムは相手物質への形状追従性が高いため、比較的低い垂直抗力でも真実接触面積が大きく、見かけの接触面積に近くなります。そのため他の物質よりも摩擦係数が大きくなるというわけです。ただし、垂直抗力が増えるほど真実接触面積の増加は鈍化し、摩擦力は頭打ちになります。摩擦係数の式でいうと、分母の塑性流動圧力が大きくなります。塑性流動圧力が大きくなるのはゴムが潰れていき、硬くなるイメージです(倍の力で物体を押し込んでもゴムが硬くなって面積が比例しない)。

 まとめると、ゴムは真実接触面積が大きいため摩擦力が大きく、タイヤ接地荷重が増えると摩擦係数が下がってしまうということです。逆に言えば、接地面積を増やして接地圧を減らすことで、上図における原点付近の傾きまで摩擦係数を大きくすることができます。これがタイヤの幅や外形を大きくするとグリップ力が増えるメカニズムです。

凝着摩擦と操縦安定性

 技術者はこの凝着摩擦の特性を上手く利用しています。詳しくはロールセンターの解説記事ロールアンダーの解説記事で紹介していますが、サスペンションの技術者は前後左右輪の荷重移動を巧みに設計し、操縦安定性を作り込んでいます。

 コーナリング時の左右輪の荷重移動を考えてみます。トータルの荷重は変わらず、内輪の荷重が減った分だけ外輪の荷重が増えます。凝着摩擦のメカニズムによると、荷重が減ると摩擦係数が増えますが、荷重が減っているためグリップ力は低下します。また、外輪では荷重が増えることでグリップ力が増えますが、摩擦係数が下がるためグリップ力は荷重に比例しません。トータルでは荷重移動が増えれば増えるほど、左右輪合計のグリップ力が下がります。

 これが前輪の左右と後輪の左右で起きるわけですが、サスペンションの設計により前輪の荷重移動と後輪の荷重移動の割合を調整できます。前輪の荷重移動を増やせば前輪のグリップ力が下がりやすくアンダーステア傾向となり、後輪の荷重移動を増やせば後輪のグリップ力が下がりやすくオーバーステア傾向となります。

 このように、タイヤの凝着摩擦のメカニズムは走行安定性や操縦性を作り込む上で基盤となる考え方です。この記事がクルマの理解に繋がり、クルマ好きのみなさんのお役に立てれば幸いです。

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