前回のJNCAPによるMPDB導入の続きです。前回は新オフセット衝突試験であるMPDBと旧オフセット衝突試験の違いや、ユーロNCAPとJNCAPのMPDB試験の違い、MPDBが導入された理由を解説しました。今回は自動車業界の噂話や原理原則の話も含めて、MPDBが導入された裏事情を解説していきたいと思います。
MPDB導入は欧州自動車メーカーの陰謀?
MPDBはユーロNCAPで先行して導入された衝突試験ですが、ユーロNCAPの裏には欧州自動車メーカーの存在があります。各国のNCAPは非政府系の組織であり、消費者団体などがその発端です。自動車メーカーや国から独立している組織ですが、無関係ではありません。例えば、ヨーロッパ自動車工業会は欧州の自動車業界の企業を代表し、ユーロNCAPの基準やテスト方法に対して意見を述べることもあります。ヨーロッパ自動車工業会はその名の通り、欧州自動車業界全体の利益のために活動する組織なので、そこからの意見ということは…。そういうことですね。
大きい車には不利だった旧オフセット衝突試験(ODB)
欧州といえば思い浮かぶのがドイツ車を中心としたプレミアムブランド有する大手自動車メーカーです。これらのプレミアムブランドは中型〜大型セダンやSUVが商品ラインナップの中心です。しかし、プレミアムブランドたちにはある悩みがありました…。固定式バリアの旧オフセット衝突試験(ODB)は、大型車両にとって不利と言える条件でした。

大型車は車両が重く、その分衝突エネルギーが大きくなるのは当然ですが、従来のオフセット衝突試験のような固定バリアの場合、衝突のエネルギーは自車の車両骨格変形で吸収する必要があります。言い換えると、自車と同じ重量を持つ車両との衝突に耐えられる骨格にする必要がありました。骨格を強くするためには、骨格に使われる鋼板を厚くするか、コストがかかるハイテン材を使うことになります。すでにハイテン材が使えるところには使っているので、技術革新が起きない限り基本的には重量増と思ってください。つまり、重量級の車両では、その衝突エネルギーを受け止めるためにさらに重くなるという負の循環が起きるわけです。今後の主力商品を重いEVにしていきたいプレミアムブランドにとっては死活問題になります。
欧州自動車メーカーが考えた解決策
重量やコストがかさむ衝突の要件をなんとかできないかと考えた欧州自動車メーカーはある解決策を思いつきます。それがMPDB衝突試験です。MPDB衝突試験の特徴は何と言っても相手車両を想定したバリア台車の重量が一定だということです。これは前回も解説したように、実際の事故状況を再現するための試験条件ではありますが、結果として重いクルマに有利な条件になります。

これは物理法則から明確に説明ができます。衝突前の車両速度は50km/hと規定されていますが、衝突による減速Gは車両の重さによってある程度決まってしまいます。乗員へのダメージは主に車両の減速Gで決まるため、重いクルマはそれだけで乗員に有利なのです。
仮に2トンのクルマと1トンのクルマでMPDBにおける減速Gがどれだけ変わるかを運動量保存の法則から計算してみます。ただの計算なので飛ばして読んでOKです。
衝突前のクルマの運動量は
m1(クルマの質量) × V1(クルマの速度) = 2000kg × 50km/h = 1×10^5 (kg・km/h)
一方、衝突前の台車の運動量は
m2(台車の質量) × V2(台車の速度) = 1400kg × 50km/h = 7.0×10^4 (kg・km/h)
衝突後、クルマと台車の速度をV’とすると、
(m1+m2)× V’ = 1×10^5 – 7.0×10^4 = 3.0×10^4 (kg・km/h)
V’ = 3.0×10^4 ÷ (2000+1400) = 8.8 km/h
つまり、2トンのクルマは50km/hから8.8km/hまで減速することになります。
衝突時間が0.1秒だとすると、平均減速度は11.7Gになります(実際は車両と台車がヨー回転する運動量にも変換されるためこの限りではありません)。
また、1トンのクルマの場合、
衝突前のクルマの運動量は
m1(クルマの質量) × V1(クルマの速度) = 1000kg × 50km/h = 5.0×10^4 (kg・km/h)
衝突前の台車の運動量は
m2(台車の質量) × V2(台車の速度) = 1400kg × 50km/h = 7.0×10^4 (kg・km/h)
衝突後、クルマと台車の速度をV’とすると、
(m1+m2)× V’ = 5.0×10^4 – 7.0×10^4 = -2.0×10^4 (kg・km/h)
V’ = -2.0×10^4 ÷ (2000+1400) = -5.9 km/h
となり、1トンのクルマは50km/hから減速していき、逆方向に5.9km/hで弾き飛ばされることになります。
衝突時間が0.1秒だとすると、平均減速度は15.8Gになり、2トンのクルマと比べ1.35倍の減速Gを受けることになるのです。
JNCAPのMPDB試験条件は軽自動車に忖度している?
MPDBが重量級のプレミアムクラスのための試験だとしたら、軽いクルマ(特に軽自動車)にとって厳しい試験であることは前項の計算からも明らかです。そのため、JNCAPにおけるMPDB導入の検討段階では軽自動車やコンパクトカーを主力としているメーカーからは反対意見があったようです。

そのため、JNCAPとユーロNCAPには軽いクルマへの配慮と思われる違いがあります。ここまで読んでくださった方はお気づきかと思いますが、台車重量の違いです。ユーロNCAPの1400kg台車に対し、JNCAPでは1200kg台車としています。前項で計算した1トンのクルマにおける減速度の計算を、今度は1200kg台車で計算してみます。ただの計算なので飛ばして読んでOKです。
衝突前のクルマの運動量は
m1(クルマの質量) × V1(クルマの速度) = 1000kg × 50km/h = 5.0×10^4 (kg・km/h)
衝突前の台車の運動量は
m2(台車の質量) × V2(台車の速度) = 1200kg × 50km/h = 6.0×10^4 (kg・km/h)
衝突後、クルマと台車の速度をV’とすると、
(m1+m2)× V’ = 5.0×10^4 – 6.0×10^4 = -1.0×10^4 (kg・km/h)
V’ = -1.0×10^4 ÷ (2000+1400) = -2.9 km/h
衝突時間が0.1秒だとすると、平均減速度は15.0Gになります。平均減速度としては0.8Gの差ですが、衝突後の速度が5.9km/hから2.9km/hに半減しています。
さらに、今回は1トンのクルマで試算しましたが、もっと軽い軽自動車になると1400kg台車と1200kg台車の差は大きくなります。
もちろん、JNCAPにも1200kg台車にした理由が用意されています。簡単に説明すると国内で販売されている乗用車の加重平均をとっています。日本では軽自動車が売れているのでこのような計算結果になることは明らかです。軽自動車に忖度して台車重量を軽くするために持ってきたデータにしか見えないのは私だけでしょうか?
まとめ
・MPDBは従来のオフセット衝突試験よりも重量級の大型車に有利
・大型車を有する欧州自動車メーカーの影響でユーロNCAPがMPDBを導入
・JNCAPは軽自動車など軽いクルマに配慮し、MPDBの台車重量を1400kgから1200kgに削減
以上がMPDBに関する裏事情です。私見としては、『さすが欧州人はルール作りが上手いな〜。』です。ポイントは、間違えたことを言っていないことです。クルマ同士の衝突で重いクルマが有利なのは原理原則からも明らかです。MPDBは実際の事故状況に則したルールですが、欧州でのEV推進のように、誰のためのルールかわからないものもあります。いちエンジニアとして、一部の国やメーカーのためのルールによって合理的な小さいクルマや合理的なエンジン車が作れないような世界が来ないことを願っております。
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